「情報Ⅰ」のはじまりまで
また負担が増えた
2025年1月18日、19日に大学入学共通テストが実施され、今回より新課程入試ということで新教科である「情報Ⅰ」スタートの年となった。
「情報」については以前より「情報関係基礎」という数学の中の1科目として実施されていたのだが、2025年からは1つの「教科」として独立し、国立大学においては原則必須化されることとなった。
結構前から検討されていた
実はこの「情報」については、2000年代より既に旧センター試験での必須化に向けての動きがあり、情報処理学会(IPS)などから大学入試センターへの働きかけが何度もなされたものの、その度に却下されるというのを繰り返していた。
だが、デジタル人材育成でこれ以上諸外国に後れを取るわけにはいかないこの現状を鑑み、情報に関わる資質・能力を評価・判定することができるよう、2021年の大学入学者選抜協議会における協議を経て、ついに25年入試より「情報Ⅰ」が、国語・数学・英語等と同格の「教科」として導入が決定された。
オヤジが「情報Ⅰ」を解くと
蓋開けたらクソ簡単だった
実際、どのような情報教育が現場では展開されているのだろうという、ちょっとした興味から、共通テストの「情報Ⅰ」をノーベン・ぶっつけ本番で受けてみた。
ワシのITスペックは「ITパスポート」という資格偏差値40くらいのを持っているだけ。実務面では勤務している企業のDX化プロジェクト(職場の業務効率化などをオモチャのようなノーコード・ローコードツールなどでチマチマ進めるナンチャッテDX)の責任者を務めている程度。
受けてみて得点は3桁だったのだが、問題の内容・レベルを考えると、DXだのITだの関係なく、普通に社会人として生きていれば取りこぼしようのない試験だったので、これは当然の結果である。
共通テストを受験された方の場合、当然社会での実務経験もなく、2日目の最後の試験ということもあって体力・気力ともに限界に来ていたはずなので、実際の受験生の環境とは大きく条件が違うことは承知の上である。
予備知識不要
とはいえ、問題のほとんど全てが現場思考で解けるものであり、特別な専門知識は不要である。知識問題や用語問題もいくつか出たものの、これも答えは推測が出来る範疇の問題に過ぎない。
第3問のプログラミングも、初見であったり、ド文系脳だと身構えたりもするかもしれないが、特に専門知識が問われるものではない。一見小難しそうな記号の羅列にビビることなく一旦落ち着いて、この問題はプログラミングを活用して何をしようとしているのか、どんなロジックを組むべきかを掴むことが大事になる。下手に最初から問題の流れにハマりきって回答を進めようとすると却って沼に引っ掛かりかねないので、あらかじめ自分ならこういう筋道でいくぞというのを大まかにでも確立しておいた方が道を見失わずに済むだろう。
今回は簡単だったけど
「情報Ⅰ」実施にあたっては、教育者の確保などで地域格差が生じるのではないかと不安視されたものの、このレベルであれば教育者もクソもなく、他の科目の片手間の独学で十分である。
・・・とは言ったものの、初回の「情報Ⅰ」の平均点は73点にも及び、来年はまず難化が予想される。IT関係は変化のスピードも速いので、それに伴って試験の内容やレベルもめまぐるしく変化する(ITパスポートも合格点が低いからラクなのだが、何だかんだ言って高得点とろうと思うと大変。新しい知識・用語がドカドカ出てくる)。
時が経つほど難化の一途を辿ることは避けられないはずであり、こんなことを言っていられるのも今のうちだろう。
これは共通テストでやるべきなのか?
「情報Ⅰ」ならではの、得るものとは?
今後「情報Ⅰ」も難しくなっていくはずなので杞憂とは思うが、今年の試験のような内容・レベルで、わざわざ一つの「教科」としてまで必須化する意味があるのだろうか・・・?
問題解決・論理的思考を問うものであれば従来通り「数学」の一部で、情報リテラシーや知識をより問うていきたいのであれば「現社」の一部でも十分である。
国立大学では「数理・データサイエンス・AI 教育」が教養科目として履修されており、その教育を受けるための基礎力として「情報Ⅰ」が位置付けられている。だが、求めている水準が今回の試験のレベル程度であれば、おなじみの「国語」や「数学」で鍛えられた読解力・論理的思考力をもって初見でも十分対応できる。
つまり、大学で情報関係の教養課程を受けるための基礎学力は「情報Ⅰ」がなくともとっくに身についているということである(しつこいようだが、あくまで25年共テのレベルを求めるのなら)。特に国立大学は幅広い素養や基礎的能力を有する学生を理想とするのは理解できるが、入学試験は大学での更に高尚な学問・研究に踏み入れる資質・基盤があるかをはかるための関門であり、より基礎力の根源となる教科の強化に力を入れて、若者の中の基盤をより強固にすることが先決なのではないのだろうか。
確かに、言うまでもなく現代社会において情報リテラシーは不可欠であり、その成熟度をはかることも必要だが、共通テストはその場として適切なのであろうか?
共通テストの受験者が若者のすべてでもないのだし、それなら別途その試験の機会を設ければ済む話なのではないのだろうか。。。
実社会では
もちろん大事なんだけど
「情報Ⅰ」の試験も、意味がないとは言わない。
情報に関する仕事も、あらゆるパターンを想定して一つ一つエラーやバグを潰していったり、情報を活用しようにも分析・加工も一筋縄ではいかなかったりと泥臭い仕事ばかりであり、レベルはさておき、「情報Ⅰ」で問われているような問題解決の繰り返しではある。情報漏洩やサイバー攻撃のリスクも高まる中、情報リテラシーやセキュリティに関する知識も日に日に重要度を増している。
今や、データ加工やプログラミングについても簡単なものはAIが代わりにやってくれるようになり、文系も理系も関係なくあらゆる仕事がAIに奪われる未来が現実味を帯びてきている。ただ、今の時点ではそれも完璧ではなく、まだまだ人間によるチェックは必要である(AIもたまに凡ミスするから可愛げがあったりする)。
舐めるとタヒにます
情報関係の仕事は、大きなプロジェクトに関わると夢があり、やりがいも大きい。うまくいけば職場の仕事を便利で楽しいものにしたり、データ活用により組織の意思決定にも大きく寄与出来たりする。
その一方で、人様の業務を大なり小なり変える仕事でもあり、企画側につけば調整が病むほど大変になる。目的・理念の設定・浸透という、何の形もないスタート地点から苦労し、データ収集にも各関係者にとって多大な負荷が待っている。プロジェクトが大きくなり関係者・関係部署が増えるほど多様な声が発せられ、色んなことが安価に出来るようになったこのご時世では「予算・技術的に不可能」という言い訳も通用せず、最大公約数を模索しながら、各々の満額回答を期待している周りを納得させていかねばならないという軋轢の連続で地獄の毎日を送ることになる。
人が嫌がること(やりたがらないこと)を敢えて引き受け、貧乏くじを逆手に取ってポジションを確立する手は有効だが、それには相応の覚悟は必要となる。
本当に求められるのは情報リテラシーでも読解力でも論理的思考力でも、小手先の問題解決能力でもなんでもない。気合、体力、そして鋼鉄のハートである。