中退と除籍は違うらしい
静岡県某市の市長が自身の「東洋大学法学部卒」という学歴について、詐称の疑いで市議会の百条委員会による調査を受けている。
市長は「大学卒業後に除籍と判明した」と説明のうえ「卒業したと勘違いしていた。詐称じゃねーよ」と主張 。
虚偽の学歴を公にしていれば公職選挙法違反に問われる可能性があり、学歴詐称が意図的に行われたと判断されれば、懲役や罰金の刑罰ともなり得る。
なぜ嘘をつくのか
有権者に信用されやすくなる
連日ニュースが鳴り止まず、告発者のバックグラウンドも含めて物議を醸し、色々と闇が深そうなこの事件。
マスコミからインタビューを受けた市民達からは当然ながら失望の声が出てくるのだが、一方でこのような趣旨のコメントをされた市民も。
「大学なんてどうでもええわと思いますけどね〜・・・。」
いや、ホントその通り。
市政を全うしてくれるのなら、東大だろうがスタンフォードだろうがDランだろうがFランだろうがどうでもええ(笑)。一体何をこんなクソしょーもないことで毎日毎日騒ぎ立てているのか、市長の行いはともかく、報道に対しても呆れかえる国民も少なくないだろう。
ところが学歴というものは政治の世界においても意外と馬鹿にできないものである。
特に大事なのは選挙の時
まつりごとを行う際は学歴など気にせず遺憾無くその手腕を振るってくれればいいのだが、その前段階として、選挙を勝ち抜くには無視出来ない要素となってくる。
選挙の候補者については、職歴だけでなく学歴も経歴としては必ず紹介され、その内容次第で学問・教養による裏付けや知的イメージが変わってくる。
当然、学歴だけで票が取れる訳ではなく、政策・政党・人柄・前職・家柄・知名度・ビジュアルなどあらゆる要素がかかわる掛け算となるが、無所属で政党の後ろ盾が弱い候補者ほど「肩書(学歴含む)」で補強する傾向が強い。
つまり学歴は、候補者に対する信用を担保する看板として機能してくれると言われている。
割と本当らしい
政治学の書物をめくれば、候補者属性の一つである学歴が、とりわけ地方選挙においては当選確率に有意な影響を与えるとする分析が随所に見受けられる。
海外に目を向けてみても、米国政治学では政治家の「学歴+職歴」が政策決定に与える影響が分析されており、「高学歴・専門職の候補者は当選率が高く、資金調達力も強い」「名門大学卒の候補者が、低学歴の候補より平均で数%得票率が高い」という研究結果が複数ある。
・・・という風に、国内外で学術的な裏付けがあったりする。
バレるとヤバい
学歴が選挙結果に少なからず影響することがあるなら、学歴を偽ることは信用を得るための嘘であり、有権者を騙したことになる。
それは公職選挙法(虚偽事項公表罪)に引っかかり、失職・刑事罰というしっぺ返しを受けることはもちろん、有権者からは「じゃ、他のことも嘘なんじゃね!?」と一気に信用は崩壊し、社会的には再起不能レベルのダメージを負うことにもなりかねない。
低学歴も武器にできる
もちろん、学歴などなくとも当選して大成した政治家はいる。
工業系の専修学校卒の田中角栄元首相の叩き上げ伝説はあまりにも有名であり、学歴が低いこと自体が「庶民の味方」として支持された節もある。
アメリカでもリンカーン元大統領がそうであり(あまりに昔すぎるがね)、少年時代より勉学はほとんど独学であり、そんな環境下においても見事に弁護士資格を取り、やがて大統領にまで出世することになる。「丸太小屋からホワイトハウスへ」というアメリカンドリームで庶民から支持された。
二人とも学歴より叩き上げ感を売りにして「庶民感」「努力してのし上がった物語」を最大の武器とし、低学歴を逆手に取ることで有権者からの共感を勝ち取ることが出来たのである。
歴史に名を残すこの2人と同じ土俵で語るのは酷と言うものだが、それでも一つの市を背負って立つ存在になるのだから、たとえ学歴ひとつに不安があろうとも、本来はそれを補って余る何かを持っているはずではないだろうか。
信用力の使いどころとは
他者からの視点
政治の表舞台はほとんどの庶民にどっては関係なく、「学歴」の実用的なメリットとしては大手民間企業への就職活動の時に最大限に力を発揮してくれる。メンバーシップ型雇用をメインとする日本において、まだ何の専門性(トガリ)のない真っさらな若者を選別するには、学歴や人柄がモノを言う。
候補者となる学生は、有権者となる企業からの信用をその学歴で得られるのである。
そして、学歴による信用は就活のみならず、その後の人生においてもにゆるりと人生の節目節目で活きてくることになる。
これらはあくまで他者からの評価としてのメリットであるが、自分自身がその学歴をどう見るか、言ってしまえば、どこまで満足出来るかという見方もある。
自分自身への信用
世間一般的にはA級大学やB級大学も十分高学歴な部類にあたるが、高い低いは個人のものさしによって変わる。周りがS級大学に進学することが当たり前のような環境で過ごしてきた場合、S級以外の大学におさまってしまえば、それは自分にとっては低学歴だと認識してしまってもおかしくはない。そして、その逆もまたあるだろう。
他者は大抵の場合、結果でしか自分のことを評価しない。だが自分自身のことは、客観的に高いハードルをクリアして分かりやすい結果を出すに越したことはないものの、それだけではなく、自分の身の丈や置かれた環境というものがある中でどれだけやり切れたかという努力の過程、他人との比較とは別視点での自分にしか分からない手応えというものを覚えているはずだ。
特に、限界だと思っていた一線を越えて、かつては「なれる訳ない」と思っていた自分に「なれた」時、その経験がその後の人生において何事にも立ち向かえる一生ものの自信と胆力になってくれる。
受験にしろ卒業にしろ、やり切れたという手応えが自分の中にあれば一生ものの自己肯定(傲慢なのはアカン)を得て、自分にも他者に対しても嘘をつかず、それが学歴等のラベルだけによるものではない、他者からの人間的な信用にも繋がってくる(滲み出てくる)。
ゆうて限界も
人からどう思われようが自分自身の誇りがあれば揺らぐ必要も人と比べる必要もないのだが・・・自己評価と他者評価は異なって然りとはいえ限度というものはあり、人からの評価があまりに過小だと抗議したくもなるものだ(お前が言うなって叫びが聞こえてくるけど)。
特に「Fラン」という言葉は単なる学歴ランク以上の意味を持ち、世間一般の認識と大きく乖離する思い切った発言にはそれなりの根拠をもって説明責任を果たすべきであり(単に自分の認識不足なら素直に謝る)、こういうシチュエーションでの「どうでもええわ」というのは開き直りというか、発言に大きな社会的影響力を持つ者の対応としてあまりに乱暴が過ぎる。あくまでネタと割り切れる人が多いとは思うが、該当する大学関係者の名誉を多かれ少なかれ傷つけてしまっているだろう。
一見、実に侮蔑的な物言いが鼻に付くが、学歴の常識や、みんなが思っていても口にはしない本音のような、ある程度の共通認識にもとづいたイジりを展開している赤青シャツのコンビの方が、全然マトモな存在である。
